毎年この時期になると子猫がいなくなる。
去年の今頃も、年末に次々と里親さんが決まり、
年が変わって、気がついたら何もすることがなくなって途方に暮れたっけ。
休日は猫のことばかりしていたので、休みの日の過ごし方さえわからなくなってしまっていた。
何かがスコンと抜け落ちた喪失感に囚われてしまったのだった。
だからその時エチカさんから「猫を預かって欲しい」と言われるや、すぐに引き受けた。
エチカさんの知り合いの猫おばさんが餌をやっていた現場は、
私鉄電車、JR、市道が重なって走っている地域の、線路と線路の間だった。
まさかそんなところに猫達がたむろしているとは信じがたいほどの場所だ。
そこでその猫おばさんは、ご主人に内緒で毎晩猫達に餌を運んでいた。
しかし、そんな危険な場所で、いつ終わるともしれない餌やりを続けることを見るに見かねたエチカさんは、その地域のすべての猫を避妊去勢するという、大がかりな作戦に出たのだった。
餌やりと捕獲は深夜に行い、捕獲器に入った猫は片っ端から手術をした。
全部の猫を捕獲するため毎日深夜に現場に通ったエチカさん達の苦労は、
どんなにか大変だったに違いない。
私は捕獲には一切かかわらなかったが、想像するのが精一杯で自分ではとてもできないと思う。
その現場にいたまだ小柄な子達もすべて避妊手術を行った。
外の子は栄養が悪く、見た目は3ヶ月程度でも生後5~6ヶ月くらいはいっている。
しかしあまりに小柄な子達は、リターンするのでなく里親さんを探そうということになったのだ。
そして預かったのがこの
「のんちゃん」。
(うしろに写りこんでいるのはうちのナナ)
やや長毛がかっていて、シルバーのうっすらとした縞模様がきれいな美人猫だった。
人間から餌をもらっていたのんちゃんは、完全な野良というよりはまだマシだったが家猫修行が必要だった。
エチカさんさえ「恐くてさわれない」と言っていたほどだったが、
私は軍手をしたり、ぬいぐるみを盾にしたりして、のんちゃんを毎日さわるように努めた。
すると1週間で私に抱っこされるようになり、2週間経つ頃に私がエチカさんに送った写メールを、
せっかちにもエチカさんが仲間にネットで里親募集をお願いしたのだ。
するとなんと、すぐにのんちゃんを見たいと言うご夫婦から連絡をいただいた。
猫が好きで、昨年2匹いるうちの1匹を亡くしたOさんだった。
のんちゃんはまだ完全に人慣れができていなかったが、
Oさん夫婦がそれでもいいと言ってくれたため、ゲージ付きでお試ししてもらうことにした。
Oさんの奥さまも猫への愛情たっぷりのブログを書いている方だった。
常にブログでのんちゃんの様子を確認できるとはなんてありがたい。
先住猫ちゃんも大事にされていて、安心してお任せできるおうちだった。
ご自宅も近くだったので、ワクチンの時には私が病院へ連れて行った。
ゲージ越しに猫じゃらしで遊ぶのんちゃん
そして2週間後、のんちゃんは無事にOさんのお家の猫になったのだった。
『不幸の先の選ばれしラッキー猫』のんちゃん達がいた場所があまりに過酷な環境であったため、
エチカさんが里親さんへとこう伝えた言葉から、
里親のOさんは、のんちゃんへと
「ラッキー」という名前をつけたのだった。
今でもOさんのブログでみごと家猫へ変身したをのんちゃんを見ることができる。
先住猫の「まねきちゃん」と一緒に、首輪代わりのバンダナを巻き、
おとうさん(Oさんご主人)のお膝が大好きなラッキーちゃんを。
ラッキーちゃんのブログは
コチラ。
※上3枚の画像は里親様のブログよりお借りしました。
2010/2/20
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