chihiroさんがボランティアさんのために開催してくれる「アニマルコミュニケーション」
先日その2回目のセッションの開催があった。

場所は前回と同じ猫カフェくるるんで。



くるるんでは先日スタッフの「こじろうくん」が急死してしまい、

また仲間のねこまんまさんの保護猫も病死するという、猫の不幸が続いてた。


chihitoさんは亡くなった猫達の声も聞ける、、、

私はたとえ自分と関係のない猫達のセッションでも、
猫達が(動物達が)どんなことを考えているのか聞けることが、
私にとっては奇跡の時間であるため、
今回もわくわくしながらセッションに参加した。

(今回は多頭飼い崩壊の猫舎の猫達のことを聞く目的もあった)


120212 013 くるるんの猫達



そんな動物達の言葉を聞いていつもすごいと思うのは、
彼らは死を「しかたがないこと」と受け止めていること。
たとえ悲しい死に方をしても、その死をまるで修行のようにとらえ、
また次の命のための礎と割り切っている。

(chihiroさんの言葉を借りると彼らはそう言っているのだ)

人間は死なせてしまったことや、死の直前に苦しんだことに対して、
いつまでも後悔の念をぬぐえずにいるけれど、、、

動物達はその短い生涯を悔やむでもなく、
むしろ飼い主さん(保護主さん)に対し、

「この命はあなたへのプレゼント」

とさえ言うのだ。




「僕のからだは病気に侵されだんだん空っぽになっていったけど、

 その代わりおかあさんが僕にしてくれたことでいっぱいになって旅立つことができたんだよ」



これはねこまんまさんの亡くなった猫が言っていた言葉。

猫ってそんな素敵なことを言えるのか、、、、



そして彼らは「いつかきっと会えるから悲しまないで」と言ってくれる。



120212 014 くるるんの猫達



昔、「グーグーだって猫である」という映画を見に行って、

その映画の中で主人公の麻子さん(小泉今日子)が、死んだサバという猫と会って話をするシーンがあった。


死んだ私の猫と話ができたらどんなに嬉しいだろう、と、

その時思ったものだった。



亡くなった猫達の言うことが本当なら、
いつか天国のようなところで、私も死んだ猫達に会えるのだろうか。


そしてその世界では人も動物も、イメージを伝え合うように言葉を通じさせあうことができるのかもしれない。

chihiroさんがそうしているように。




今までの私は、死んだらすべてなくなるのだと思っていた。
ただ「無」の世界になるだけだと。

「いつかまた会える」という言葉を聞きながら、私は頭の中で雲の上の世界を思い描いてみた。

でも多分その世界はただもやがかかっているだけで、
そこに人型や犬型や猫型が存在しているのでなく、
たくさんの光の集りがあるだけのような気がする。


でもそれは「無」ではない。
きっと「念」というものがあるに違いない。
難しいことはわからないけど、、、、

いつの間にかそんなことが信じられるようになった。


120212 017 くるるんの猫達




アニマルコミュニケーションで人間達は、
猫達に教えられ、諭されて、
心をまるくして、笑顔を取り戻し、
いつか自分の猫に会えるのだという希望すら持ち、
悲しい思い出を幸せな思い出にすり替える時間をもらえるのでした。



2012/2/13

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